文化の達人から聞く、小坂の魅力。
400年もの歴史をもつ静かな湯治場、
湯谷温泉へ心をほぐしに来てください。奥田省二さん

(1)「飲める温泉」湯屋温泉

 ここ湯屋温泉は、昔から「飲める温泉」ということが売りものなんですよね。温泉水を直接からだの中に入れる訳ですから、浸かるより、はるかに効きますよね。
 湯屋の泉質は、飲むことによって消化器系に効くといわれていますが、ただし注意していただきたいのは、塩化ナトリウムや塩化マグネシウムといった成分がたくさん含まれている塩化物泉なので、肝臓病には良くても、腎臓病や高血圧の方には良くないんです。
 高血圧の方の飲泉は良くないのですが、湯に浸かるのであれば逆に良いんですけどね。それは湯屋温泉のもうひとつの特徴、「炭酸含有量が多い」ということに起因します。炭酸泉のお湯に浸かることは、高血圧に良いといわれています。

 「飲める温泉」とはいっても、あまりたくさんの量は逆に良くない。1日2~300mlといったように、用量が限られています。それは、お湯の中に溶け込んでいる成分によります。薬と一緒で、成分に「何が入っているか」によって適量が違ってくるわけです。
 昭和58年に、国が飲用許可基準というものを作ったんです。国の基準を設け、それぞれの都道府県がそれに基づいて飲用許可を出すようになって。
 まずは泉質を分析して、その結果、ヒ素だとか、鉛、重金属類など有害な成分が入っていないということを証明する分析書を付けて申請すると、県知事の名前で許可が出ます。
 飲用許可が下りるのは、飲泉場ごと。「飲泉場において飲泉を許可する」という形になります。ですから、飲泉場からどこかに持って行って飲むというのは基本的に良くないものですから、温泉水を販売するという事は考えられないです。まぁ、汲んで持っていかれる分には、いちいち追いかけていくわけにはいかないですが…。

(2)湯屋温泉の開祖「奥田屋」に残る古文書

 湯屋温泉のなかでも、当「奥田屋」は最も古い宿。代も重ねて現在は28代目という老舗です。
 当宿には、家宝として代々受け継がれている古文書があります。万治4年に書かれたといいますから、今から360年くらい前、水戸黄門が生きていたころですね。
 それから40~50年経って、原本を書かれた方が、うちで湯治をしながらそれを書き写していったものも残されています。書かれたのは江戸の人です。誰だかわからないんですけれども、3か月ほど、湯治をしながら写していかれたようです。そちらの文書の方が綺麗ですし、仮名が振られているので分かりやすいと思います。だけど、僕にはその仮名が読めない(笑)。
(文書を指し示しながら)
 ここに効能が書かれています。 効能書は、 今でいう適応症。このあたりに病名があって、30幾つの症状が書かれている。ここからは湯治の用法。お湯をどんなふうにして用いるか、浸かるのと、飲むのとが書かれています。
 こういう文書を「湯文(ふぶみ)」と言います。当時は文字を書ける人は少なかったですから、どうしても伝達の手段は言葉が主になってしまいますよね。そこで、ここに湯治に来られる人たちのために、「こういう病気に効きますよ」とか、「このようにして飲んでください」ということがわかるように、こういうものを書いて残したんでしょうね。
 ここに書かれていることは、現代でも十分通用します。当時、よほど深く研究されていた学者のような方が書かれたんだと思います。

 もちろん現代でも「湯文」と言えるものはあります。用法用量とか、成分の分析結果とか、飲用許可の写しとか、むしろ誰もが見られるようにしておかないといけない。ただそれは、江戸時代から既に行なわれていたということです。
 日本温泉文化研究会の会長を務めておられる伊藤克己という先生がいらっしゃるのですが、下呂温泉で講演をされた後、うちにお見えになって、古文書をお読みになったんです。
 先生はそれまで、「温泉を飲む」という習慣は明治になってから確立されたと考えておられたそうですが、この文書を見て、江戸のはじめから飲泉の習慣があり、なおかつ用量や用法まで書かれていることを知られて、「考え方が変わった」とおしゃっていました。

(3)スローライフの旅スタイル「湯治」のすすめ

 関東、東北、九州では、昔ながらの「湯治」という習慣が色濃く残っているんですよね。今でも有名な湯治場というのは、ほとんどが東北、九州です。
 名古屋を中心にした中部圏では、「湯治」なんていう言葉は忘れ去られてしまったんじゃないんでしょうか。こちらに来られるお客様も、静岡や京都、岡山など周縁部からといった感じです。
 なおかつ、湯治のために長期滞在されるお客様は、ずっと少なくなりましたね。昔は、10泊とか半月とか。最近では、長い方で8泊。3泊とか、4泊とかというお客様がうんと多かったです。老夫婦が湯治目的でいらっしゃって、途中からお子さんが合流されて一緒に帰られたりとか。
 昨今では、「スローライフ」という概念がずいぶん浸透してきていますよね。これはひとつの提言なのですが、従来のあわただしい観光とはまったく違う、ゆっくりのんびりと、身体だけでなく心もほぐす「湯治」という旅のスタイルこそ、いま一度見直されてもいいのではないかと思うんですよね。

 長く滞在されるお客様が多ければ多いで、お出しする料理に悩んだりもするのですが(笑)。
 自炊のお客さまもいらっしゃいますよ。ただ、長逗留される方というわけでもなく、1泊とか2泊の方もいらっしゃいます。

 鉱泉で粉を溶いて天ぷらを揚げてみたんですけれども、サクサクで美味しかったです。鉱泉っていろんな使い方があるなぁって。
 湯豆腐に鉱泉を使うと、豆腐が溶けていくんですよね。だんだん豆腐がやわらかくなって、湯豆腐と反対ですよね。どういう理屈ですかね。
 「にがり」って、主な成分が塩化マグネシウムですよね。塩化マグネシウムは海水からとれるけど、炭酸泉も海水のような感じなので、にがりの成分が働くのかなとも思うけど、ただ、にがりは豆腐を固めるときに使いますからね。固まるんなら分かるんですけれども、どうして溶けるのかと…。
 源泉でご飯を炊くという方もいらっしゃいますよ。富山からのお客様で、大きなポリタンクを4つも5つも持って泊まりにいらっしゃる。3:2くらいでお水を混ぜられるそうです。「美味しいからやってごらんよ」と言われるんですけれども、アルミのお釜だと傷むでしょ。土鍋じゃないと…。
 お粥は、昔から食べる習慣が伝わっていましたので。毎朝、お客様に炊いてお出しします。
 身体の悪い方には夜にもお粥を出したり、お客様によっては、湯治メニューということで品数を少なくしてお出ししています。

(4)観光のあり方について思うこと

 人間、年をとってくると、そんなに食べられないですよね。なのに旅館の料理って、誰に対しても決まりきった品数のメニューが出てくる。それに人それぞれ、食べられないものとか、嫌いなものってあるじゃないですか。そういうものを、どんどん出されたらたまらないですよね。しかも、どこに行っても冷え切った料理で(笑)。
 だから僕自身、「泊食分離」のホテルみたいなところがいいんですよ。食事に関しては、外に出てその土地の味をちょこっと食べられれば良いっていう感じで。

 しかしそういったホスピタリティの面は、あくまでプラスアルファの部分であって、本質的な部分で観光というのは、その場所の「“光”を観にいく」こと。
 そこに本当に人を惹きつける“光”があったら、どんなに不便でも、人は行きたくなるんですよね。どれだけ遠く離れていても、それこそ飛行機に乗って、船を乗り継いで、どんな形ででも行くんです。高速道路が出来れば観光客が増えるとか、アクセスの利便性だけで考えるものではないと思うんですよ。
 例えば、東海北陸道が出来たから、郡上あたりではスキー人口が増えたって言うんですよね。ただ、スキー客が増えたからって、その分、宿泊客が増えるかといえば、そうじゃない。朝早くに飛んできて5~6時には駐車場がいっぱいになって、午前中くらい滑って、昼すぎには水が引くように帰ってしまう。高速道路が通れば、商圏というか人を集める範囲が広くなるだけで、決して魅力自体が増すわけではない。
 その点、上高地なんてアクセス面では最高に不便ですよ。マイカーの乗り入れが規制されていますから、こちらから車で行っても、途中で必ずバスに乗り換えて入らなければいけないとか。それって、時間的なことを考えても、すごく不便で面倒なんですが、それでも人は来るんですね。一日に多くの方が訪れるわけです。それは、上高地にそれだけ魅力があるからですよね。
観光というのは、その土地が持っている魅力。観光地としての小坂の将来も、そんな魅力をどこまで掘り起こし、伝えることができるかにかかっている。それがどれだけの人を惹きつけられるかによって、来る人数が決まってきて、そこに行く交通手段がどうであれ、来る人は来てくれるんですから。

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