自然の達人から聞く、小坂の魅力。
170年前の人の手で植えられた天保のヒノキの林を見守り育てていきたい。 成瀬 徹さん

(1)天保林とは

 徳川幕府が最盛期を迎えた時代、御殿やお城を建てたりするのに大量の木材が必要となるわけですが、ここ小坂は、非常に良質な木材を出すということで「天領」と言いまして幕府の直轄地とされ、どんどん贅沢に木を伐採してしまったんですね。
木は一度切ってしまったら10年20年で再生するものではありませんね。しかも当時の建築物は非常に大きなものが多くて、細い木ではなかなか対処できない。それで「困ったなぁ」ということになり、ヒノキを産出するこの地域へ「人の手で木を植えて増やしなさい」という指令を幕府が出したわけです。
ここら山間部の人々は、当然、農業に頼るよりも林業、木を切り出してそれで生計を立てていた人が多かったですから、「村をあげて木を植えようじゃないか」と。
それが今からおおよそ170年前の天保年間のこと。それでこのあたりの山が「天保林」と呼ばれるようになったのです。

 自然のものではなく人が手で植えた森というのは、たとえば伊勢神宮や出雲大社とか、何百年単位と言われている古いものはあるんですが、植林の記録が残っているわけではないので、確かなことは分からない。
しかしこの赤沼田の天保林には、「木を植えなさい」という指令文、日付の入った古文書が残っているんです。それで、木を植えた時期が証明できる人工林としては日本一古いと言われています。

 当時、約四千本の木が小坂のいくつかの地域に植えられたという話ですが、現在まで残っているのが、この赤沼田の天保林なんです。
昭和30年代には、建築資材にするために「この木を切ってしまおう!」という話があったのですが、それを小坂の方々が「これは文化財だ、このような木を簡単に切っちゃいかん」と非常に反対され、昭和37年に「学術参考林」という形で保護しようということになりました。

 それからまた時が経ちまして、「天保林は学術参考林の中でも特に重要な林だ」ということで、平成5年、学術参考林よりさらに上の「赤沼田天保ヒノキ植物群落保護林」として指定され、今後、この森には一切手をつけず、「人が手で植えた木がどうなるか」を永久に見守るということになりました。
そういう経緯で、僕ら林野庁がこの場所の管理を任されるようになった次第です。我々でも簡単には手を下せない場所ですので、ヒノキが自然に潰れない限り、この森は残ると思います。

 その天保林のメインとなるのが「赤沼田の大ヒノキ」。高さが36メートルで、周りが3.5メートルという、天保の大ヒノキです。
 「森の巨人100選」というのがありまして、これは「日本全国で100本の大きな木=森の巨人を探そう」というキャンペーンで、その中で一番有名なのが「屋久島の縄文杉」なのですが、同じくそこに「赤沼田の大ヒノキ」も認定されているのです。
 「赤沼田の大ヒノキ」は、100本のうち唯一、人間の手で植えられた木なんです。それが大きな特色ですね。

(2)天保林を歩く

 では、170年前の森の中を、ちょん髷をしたおじさんが苗木を担ぎながら歩いているのを想像しながら、自分もそうなったつもりで歩いてみましょうか。

 この森の木は、高さがどれくらいあると思いますか? 平均で32メートルくらいです。天保の時代、およそ四千本の木が植えられたと言いましたが、現在、ここに残っているのは819本です。
今でこそ苗畑というものがありまして、そこからヒノキやスギの苗を持ってきて植えるんですけれども、江戸時代にはそんなものはなくて、山の中に生えた小さな木を苗として持ってきて植えたわけです。それを「山引き苗」といいます。当時は、小坂の皆さんが総出で山の中に入って採ってきた四千本の苗を植えたと、そう記録に残っているんですよね。

 ここでちょっと見てもらいたいのは、道の下側、水辺の方にはサワラが多く、水から遠い場所にはヒノキが多いでしょう。これはね、サワラは非常に水辺を好む木、逆にヒノキはあまり水辺を好まない、昔の人はそういうことをちゃんと知っていて、植えるべきところに植えている。これを林業の言葉で「適地適木」といいます。人間の「適材適所」と同じです。そういうことが江戸時代、170年も昔から受け継がれて、今もその教えを守って僕らは木を植えている。

 あくまでも想像なんですけどね、「山の木が無くなると俺らのおまんまが食いあげや」ということで、女性も子供も総動員して「みんなで山から苗をもってきて植えよう」と、そういう古き良き共同作業の風景が蘇るんですよね。「山で引いてきた苗をみんなで植えて良かったな」と、子供にね、「あと100年たったら、お前らこの木を切って飯食ってけ」なんてね、そういう会話がされてたんじゃないかなって、想像しながら山を歩きます。

(3)自然保護の考え方

 いわゆる「自然観察会」では、割と「自然保護」の観点からの話が多いのではないでしょうか。
我々林野庁も「自然保護」の活動をしているのはもちろんですが、一方で「林業」としての観点も大事に考えています。
「自然保護」と「林業」というのは、日本では悲しいことにお互いに対立しているように思われていますが、僕はそのふたつを調和させたいという思いがありますので、皆さんにお話しするときは、「林業」の視点も交えながらご説明するようにしています。

 自然保護の話をしていると、山は木を切らずに放っておいて自然に任せるのが一番だという意見もありますが、まぁ、少なくとも一度人間が手を入れた山は、継続的に手を入れ続けない限りは間違いなく荒れ果ててしまうんです。

 もちろん、山は人が手を入れずとも天然林のサイクルで回復はするのですが、山によって性質がまったく違うため、そこに適する林というものがあるのですね。それは土壌であったり、標高であったり、気象であったり、日照の問題であったり、条件が数え切れないほどあるわけです。 例えば、「熊が餌不足で出て来るからドングリの木を植える」っていう話をよく聞きますが、果たしてそこにドングリが育つかといえば、必ずしもそうでない可能性もあるんですね。
また、種類がまったく同じ木を持ってきても、それぞれが今まで育ってきた環境に適応した遺伝子を持っていたりするので、木にも環境の好き嫌いがある。森も自分たちでいろいろ調整しながら生きているので、その環境に対して、必ずしも木が喜ぶとは限らない。
人間でもそうですよね。「水が合う、合わない」ってありますよね。木にもそれが同じように言えるっていうこと。そう考えると、自然とは非常に合理的だなと思います。

 山というものは、なかなか元に回復しない。それは何十年間やってきた研究の成果としてわかっています。
今、あちらこちらで山が崩れていますが、原因のひとつには山の手入れ不足があるのです。
戦後に植えられた木が手入れをされずに放置されると、モヤシのようになって密集するために、山には根張りの悪い木ばかり生えている状態になる。密集しているから下草や小さな木々も生えない。そのため、ちょっとした雨や風で木が倒れてしまい、崖崩れや土石流を引き起こしてしまう。
それを避けるために、一度手を加えた山は、その後もちゃんと手を入れ続け、管理しなければならないのです。

 ちなみにこの天保林という場所は、難しい言葉で言うと「BD褐色湿潤森林土」といって、広葉樹より針葉樹、ヒノキとかスギの方が適するという土壌なんですね。
この天保林も、おそらく以前は立派な自然のヒノキが生えてたんやろうなと思います。しかし、それを切ってしまって、江戸時代の天保年下に人の手で木を植えたと。ですから、この先も我々が手を加え続けない限り、植生のバランスが崩れてしまいますね。
また、木には寿命がある。人間と同じで。山の健康を維持するためには、それを把握した上である程度人間が世話をしてあげるというのは、非常に重要なことなんですよ。

(4)木曽ヒノキと天保林

 自然保護という観点で我々が今一番気にかけているのは、「木曽ヒノキ」のことですね。
木が寿命を迎える時、二次林と言いまして、自分の子孫を残して死んでいくわけです。ところが、木曽ヒノキにはその子孫がほぼいないんです。要因は特定できていないんですけれども、木曽ヒノキは、このままだと絶滅する運命にある木なんですね。
トキやクジラなどの動物と違って、木の絶滅はニュースにならないですね。「ヒノキ」というもの自体がなくなるということではないんですけれども、その中の「木曽ヒノキ」という特殊なDNAをもった木というのは、今やほぼ絶滅の危機にさらされると言って差し支えないと思います。
でも恐らくどこかで子孫が育っているという希望は捨てていません。それを何とか見つけて保護していきたいと思っているんですけれども…。

 木曽ヒノキの寿命はだいたい200年前後と言われています。木曽ヒノキが育つ周囲の地面に存在する放射性物質からその地面がどれくらい前に形成されたかを計測すると、おおよそ千年だと。ということは、ここでは約五代に渡って「木曽ヒノキ」の生命がリレーされてきたということですね。
まぁ、それを我々人間が切りつくしてきたという悲しい事実があるんですけれども…。それを再び甦らせるのがこの天保林だと言われています。

 先ほどもお話ししたように、天保林は「山引き苗」ということで、木曽ヒノキと同じように天然の木を持ってきたわけですから、「木曽ヒノキの代わりになるだろう」と非常に期待されていた森なんです。
ところがこの天保林のヒノキ、天然の苗を山から持ってきて植えたにもかかわらず、苗床で人工的に作ったものとほぼ同じ成長過程をたどっているんです。やっぱりね、天然に育った木曽ヒノキとは似て異なるものなんですね。
木というのは、ある程度まで育つと成長の度合いが遅くなるんですよ。人間であればそこから退化する一方ですが、木はわずかずつでも成長を続け、突然寿命が訪れるという性質を持っています。

 ではいったいどこまで成長するのかという調査を、岐阜大学と共同で行なっております。この20年くらいのデータでは、年間でだいたい高さ5ミリ、太さで1ミリくらい。もうヒノキの成長の限界に近いんじゃないかという、そういう結果ですね。
これが木曽ヒノキとはまったく成長の仕方が違う。木曽ヒノキは本当に成長が遅く、そのかわり凄く密度が細かい木になる。ここのヒノキは元来、木曽ヒノキと一緒のはずですけれども、環境の違いによって普通の人工林と同じような成長をしていると、残念ながらそういう結果が出てますね。
だからこそ、本当の木曽ヒノキ、今はもう濁河の奥の方、あるいは王滝の方にわずかに残っているだけなんですけれども、それらをもっと大事にしなきゃいけないなと。

 木が絶滅してしまうという事実は非常に残念ですし、もったいないことではあるんですけれども、その「絶滅する過程」を記録することも、学術的には非常に重要なデータになります。
絶滅ということとは別に、森は世代交代をします。天保林には、ここで生まれた若い木が沢山あります。木は小さくなるかもしれないんですけれども、天保林の二次林としてまた育っていく、それがデータのひとつになっていくんです。
ですから、将来のためにそういうデータを蓄積して、共存する形を残すことができればという思いもあって、大学との共同研究を進めている最中です。

(5)天保林の見どころ

 木曽ヒノキに限って言えばそんな現状なんですけれども、天保林に関して言えば、二次林、二世のヒノキがいっぱい生えている。子供たちがいい具合に育っている。森が生き続けるためには、こうでなければならない。
もう少し林の奥に入ってみると、倒れた木の切り株に新しい子供が芽吹いています。これね、「倒木更新」とか「切株更新」と言いますが、地面に芽吹くよりも条件が良くて、屋久杉なんかは、ほぼこういう形で更新されますね。倒れた木の上に杉が立って大きくなるみたいなね。
そういった様子が、こうして意外と身近で見られるんですよ。皆さん、ぜひ見に来てください。国有林とかだと入林許可が必要とか小難しいことになるんですけれども、ここ天保林は公園同然ですので、いつでも皆さん来ていただけるところなんで。

 天保林を訪れるのに一番いい時期ですか? 年中いいですけど(笑)。
僕が一番大好きなのは真夏です。いくらうだるような暑さの日でも、山の中に入れば涼しくて、仕事をさぼるにはとっても良いです(笑)。
秋は紅葉が最高ですしね。冬の雪がしっとりと積もったのも良いんですよ。だからやっぱり年中良いです。
紅葉の時期は本当に綺麗ですけどね。ですが、葉が落ちてしまってからも楽しめる点が2点ありまして、まずひとつ、落ち葉が積もってふっかふかになった地面を歩くのは非常に楽しい。それともうひとつ、それは木に余分な葉っぱがないので、見晴らしがよくなること。
葉があると、夏であれば「新緑がきれいだな」、秋は「紅葉がきれいだな」って、皆さん、どうしても葉っぱを見ちゃいますよね。でもね、木の肌にも注目してみてください。面白い模様がついていたりね、意外と興味深いんですよ。

 私たち、この仕事が大好きなんですけれども、仕事以外の部分でも山だとか屋外で遊んでばかりいるので…むしろ、どちらかと言えば仕事のことよりも遊びの方が詳しいので、またよかったらいろいろと聞いてください(笑)。

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